神社由緒
御祭神
主祭神 加藤清正公
陪神 大木兼能公
韓人金官公
加藤清正公【永禄五年(1562)~慶長十六年(1611)】 は、 戦国時代の智仁勇兼備の模範的武将として、また、熊本に於ては、日本三名城・日本三堅城の一つである熊本城の築城と、それにははじまるところの富国安民の国づくり政策を推し進められた方であります。

それは、全県下に亘る土木・治水工事をはじめ、干拓・開墾・植林・交通の便の為の街道づくり、焼物等幾多の国の発展の礎となる産業の奨励保護、学問の奨励・文化の開拓等と一つひとつ列挙すれば限りない程の偉業であります。
さらに武将としての清正公は、単なる勇しいばかりの武士でなくして、常に大義名分を重んじられると共に、上には忠と義を以って、下には慈悲と情を以ってあたられた信仰心の豊かな方であります。
この様に、清正公の五十年の人生は、実に至誠にして高潔なる人格者であり、いつの時代に於ても尊崇敬慕されるにふさわしい理想的日本人であられるとともに、熊本県民にとっては、熊本発展の礎となる有形無形の役割を果された大恩人で、清正公をお祀り申し上げる加藤神社は、肥後総鎮護と言うべき神社であります。
由緒
慶応 四 年 熊本藩主細川韻邦公の弟長岡護美公の建議により明治元年
朝廷より神祭仰出され、浄池廟を神道儀式にて守護する。
明治 四 年 神仏分離の際熊本城内に神宇を創建し錦山神社と公称する。
同年神祗官を経て大木兼能・韓人金官公の両霊を合祀する。
明治 七 年 明治六年に熊本鎮台が置かれ、城内が悉く陸軍用地に編入
された為に、京町台に改築遷座奉祀する。
明治 八 年 社格を県社に列せられる。(昭和二十一年社格制度が廃止)
明治 十 年 西南の役に際し、社域は恰も交戦の衝路となり手水鉢以外建
物悉く焼失する。(ご神体は事前に健軍神社に移し奉護する)
明治 十一年 陸軍中佐乃木希典氏西南の役戦勝報賽の参拝をされ祭文を
奏上される。(直筆の祭文は御神宝として所蔵)
明治 十七年 社殿再建に着手し、十九年に竣工正遷宮する。
明治四十二年 清正公三百年祭を斎行し、社号を加藤神社と改称する。
同年閑院宮殿下の御参拝あり幣帛料を供進される。
同年陸軍大将乃木希典氏より太刀一振薙刀一本献納される。
明治四十四年 伏見宮殿下の御参拝あり。
同年米領ハワイ在留民の懇請により加藤神社を創建する。
大正 三 年 朝鮮京城府龍山有志者の懇請により加藤神社を創建する。
昭和 六 年 昭和天皇の勅使として侍従山県公爵が幣帛料を下賜される。
昭和三十七年 永年の熊本城内遷宮の宿願叶い現在地に遷宮する。


昭和四十六年 御創建百年を記念して、御鎮座百年記念大祭を斎行する。
昭和 五十年 夏祭りに神幸行列を復活する。(昭和五十七年より清正公
まつりに改称し、昭和六十年清正公まつり奉賛会を組織する)
昭和五十一年 青少年の健全育成と教化を目的として子供会を結成する。
昭和五十六年 清正公生誕四二〇年。御鎮座一一〇年記念大祭を斎行する。
広大無辺なご神徳の昂揚を目的として崇敬会を結成する。
(平成六年に青年部を組織する)
昭和六十三年 清正公肥後入国四百年記念大祭を斎行する。
平成 三 年 清正公生誕四三〇年。御鎮座一二〇年記念大祭を斎行する。
平成 四 年 城内遷宮三十年記念大祭を斎行する。
平成 十三年 清正公生誕四四〇年。御鎮座一三〇年記念大祭を斎行する。
(記念事業として、社務所屋根を緑青銅板に茸替える)
年中行事
1月(むつき)
1日 元日、歳旦祭・初詣で
3日 元始祭
11日 鏡開き
15日 松囃子奉納(午前9時より)
2月(きさらぎ)
3日 星祭
3日 節分(厄除虎くぐり)
4日 立春
8日 針供養祭
11日 建国記念の日(旧紀元節)
17日 祈年祭(1年の作物の豊作を祈る)
3月(やよい)
3日 桃の節句(ひなまつり)
13日 十三まいり
20日 春分の日
4月(うづき)
随時 勧学祭(新入学児童の学業祈願)
20日~24日 春季大祭
29日 みどりの日
5月(さつき)
5日 端午の節句(こどもの日)
5日 立春
6月(みなづき)
1日 厄入・厄晴・還暦等年祝参拝
30日 夏越の大祓(午後2時より午後10時まで)
車の芽の輪くぐりもあります。












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